とりきこりのmemoろぐ

ミニマリストを目指し、お部屋の住み心地の探求と、煩悩との葛藤の日々。

(せかけん9)長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産、ゴアの聖堂と修道院

少し前に、せかけんからメールが来ていて、今度テキストの改訂があるらしい。そして、受験料の改定も。。

何としても、今回受かりたい!!

のに、なかなか継続して勉強できないし、記憶力もない。。

目標は達成できるのか?!

 

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産メモ*(2018)

・構成:大浦天主堂(国宝)、集落、城跡

・日本独自のキリスト教信仰を伝える

・4つの時代

<1.始まり>

16世紀半ば フランシスコ・ザビエルが伝えたキリスト教豊臣秀吉徳川幕府が禁止する中、キリシタンたちが密かに進行を続ける決意をした時代

 ・原城跡:島原・天草一揆の主戦場。天草四郎(総大将)

       →この語、鎖国確立

<2.形成>

潜伏キリシタンたちが密かに信仰を続ける努力を行った時代。

 ・平戸の聖地と集落:山や島への自然崇拝にキリスト教の聖地を重ね合わせた。

 ・天草の崎津集落:漁村独特の方法で貝殻などを信心具として代用した

 ・外海の大野集落:神社の氏子を装いながら信仰を続けた。

<3.維持、拡大>

潜伏キリシタンたちがより信仰を隠しやすい五島列島の島々に移住した時代。

 ・頭ケ島の集落:病人の療養地

 ・野崎島の集落跡:神道の聖地(神社の氏子として信仰をカモフラージュ)

<4.変容、終わり>大浦天主堂

1865 ”信徒発見”から各地に教会堂が築かれ、キリシタンたちの潜伏が終わる時代。

 ・信徒発見:開国によって来日した宣教師に、潜伏キリシタンが信仰を告白。

       →奇跡としてローマ教皇に伝えられる

 

◆ ◆ ◆

崎津天主堂、大浦天主堂、あまり知識がない時代に観光しました。

崎津天主堂は、山?に囲まれた、すごく海に近い、港に近いところに建っていた記憶があります。家々の間にありました。今思うと、場所的にも忍んでる感じがする…。そういう展示や説明文もあったように思います。

大浦天主堂は、ちょっと高いところにあった気がする。信徒発見の時代だから、堂々とできたんだろうか。

そういう背景を知ってたら、もっと楽しく興味深く観光できたのになぁ。

◆ ◆ ◆

 

*ゴアの聖堂と修道院(インド)メモ*(1986)

・10余りの建造物群。

・協会ボン・ジェズス・バシリカルネサンス様式・バロック様式の融合。ザビエルの遺体安置。

 

ゴア:インド南西部の港町(アジア諸国へのキリスト教布教の拠点)

16世紀前半 ポルトガル領。首都

      喜望峰を経由した海上交易(ポルトガルリスボンと定期航路)

      最盛期 人口20万人以上→黄金のゴア

フランシスコ・ザビエルイエズス会の宣教師)来訪

 →60にも及ぶルネサンス様式、バロック様式、マヌエル様式の聖堂、修道院の建設。

 →ザビエルはゴアから日本へ(長崎を訪れた宣教師たちもゴア経由で日本へ)

 

◆ ◆ ◆

ザビエルさんって、インドに埋葬されてるんですね…。

有名な方なのに、存じ上げなかった。

◆ ◆ ◆